どうしても行きたかった。
場所は青山のスパイラル。
向田邦子さんの住まいから300歩の場所だそうだ。
開始10分ほど前に着くとすでに12、3人並んでいた。
そしてあっという間に私の後ろに並んだ人が50人くらいになっていた。
◇
向田邦子さんは脚本家、エッセイスト、小説家として活躍した女性だ。
あの「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」の脚本を書いていた、、、他にももっとたくさんのドラマの脚本を書いていた、人気作家だった。
けれど残念なことに1981年台湾での航空機事故で亡くなられた。
まだ51歳の若さだった。
それから40年後のイベントだ。
会場に入ってすぐ、向田さんが旅先で撮った写真が展示してあった。
向田さんは42歳の時から世界一周を始め、以降海外旅行が多かった。
その写真の中に、若いカップルが手をつなぎ笑顔で見つめ合いながら歩いている一枚があった。これを撮った向田さんもきっと笑顔だっただろうな、と思った。
肉筆の原稿を見ると確かに実在していたのだなと。。。。勢いのある流れるような文字で、6割くらいしか読めないけど。
1F会場中央の吹き抜けに、天井から白いフリンジカーテンが円状に下がっていて、
その中に入ると向田さんが愛用していた黒い椅子と小さなテーブルに白いダイヤル式の電話機がポツンと置かれ、
受話器を持ち上げると向田さんの声が吹き込まれた留守電のメッセージが聞ける。
フリンジカーテンの横には高い櫓のような「風の塔」があり、そこから小泉今日子さんの朗読の声とともに細長い白い紙がパラパラと落ちて来る。
紙には、向田さんの作品から選りすぐった言葉が書いてある。
その拾った一枚がこれ(持ち帰ることができる)
「まず気に入ったものをつくり、食べ、それから遊び、それからおもしろい本を読み、残った時間をやりくりして仕事をする」(食らわんか)(夜中の薔薇)
向田さんは40代の頃に乳がんを発症、術後の後遺症にも苦しんだ。
その経験がより人生を楽しもう、悔いのないように生きよう、それがこの言葉になったのかもしれない。
私も出来ればそうしたい!と共感する一節だった。
私が向田邦子さんに興味をひかれたのは、亡くなられてから開かれた展覧会(西武だったかな)で
愛用していた日用品や洋服を見た時だった。
その人の身の回りの物はその人を表している。向田邦子さんとはどんな人だったのだろうと、そこから本や雑誌を読むようになった。
今回のイベントではたくさんの日用品が展示されていた。
食器類もそのひとつ。
大小さまざまな食器がガラス張りの円形のケースの中に並べられていた。
その中に蓋つきの茶碗もあって、あっ、これやっぱりいいなあ、私が買ったのは割ってしまったけど、もう一度買おうと思った。
そして最も見たかったのが洋服や小物だった。
おしゃれでセンスが良く、今着用しても古さは感じないし、ほとんど傷みがないのはやっぱり上質な物だからだろう。
ノースリーブのワンピースとかすごく可愛い。
何度も目にした向田さんの若い頃の黒の水着姿の写真が重なった。
肩紐の無い、チューブトップの、シンプルだけど大胆で、白黒写真なのにセクシーで一度見たら忘れられない、
肩から腕の線が美しく、向田さんはノースリーブが良く似合う、それを知ってる、自分に何が合うのかよく知っていたのがわかる。
黒のその水着は給料の3ヶ月分だったと何かで読んだ記憶がある。それくらいおしゃれにこだわって、お金もいとわず、楽しんだ。今私がその写真を見て素敵だと思える、物を選ぶ目の確かさがすごいなあと思った。
何度か雑誌で見たことのあるエルメスの色違いのシャツはよ~く見たらニットだった。型崩れもなく、ほんと40年も経ってるなんて見えないくらい、鮮やかだった。高かったんだろうな。。。
毛糸でざっくり編んであるボリュームのあるニットも、ついこの間買いましたくらいのふっくらとしたボリュームで、触れるものならさわってみたかった。
どれもこれもこだわりがあってお洒落で素敵なものばかりだった。
想像してみて!
今ここに90歳の姿の向田邦子さんがいて、彼女が30~50歳頃に身に着けていた洋服、小物が展示してある。40年以上も前の物なのに、それを見て古臭いなんて感じさせないセンスの良さってすごいと思わない?
そしてもし生きていたら、どんな暮らしをされていたのかな。。。。
「向田邦子没後40年特別イベント」~いま、風が吹ている~
青山スパイラルで
1月24日(日)まで開催、 会期中は入場無料