あっ、もうさくらんぼの季節だった

2021/06/22

田舎のこと 日常 両親のこと

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昨年末は帰省できず、ゴールディンウィークも帰省できず、コロナで緊急事態宣言になったり、解除になったり、また宣言になったりで、すっかり忘れていたが、


6月はさくらんぼの季節だった。


母から送るからと電話があって気がついた。


今年は実りが良くなかったらしい。地域にもよるだろうけど、春先に霜にやられたんだとか。


確かにデパ地下でもスーパーの売り場でも見かけず、先週土曜日に初めてデパ地下で見かけた。


「山形のさくらんぼ、佐藤錦いかがですか!」の呼び込みで、ふと商品に目をやると片手にのるくらいの小さなパック入り(30粒くらいあるのかな)が1,500円だった。


高いなあ。。。粒も小さいし色も薄い。例年なら今がピークなはずなのに、一週間くらい遅い気がする。


さくらんぼだけは宅配ボックスで受け取れないので時間指定で受け取った。


実家の近辺でも親戚の果樹農家でもあまり実がならないらしく、母のご近所ネットワークで、あの農家のさくらんぼが良いらしいと探して送ってくれたみたいだ。


佐藤錦


いつもの味、甘酸っぱくて美味しかった。



4月下旬に入院していた父が亡くなった。


田舎だから近所の目がうるさくて入院中も帰省できず、亡くなっても母から帰って来ないでと言われていたので何も出来なかった。


宮殿の叔母がまるで村八分のようだと怒って、変装して葬儀場に行こうと本気で言われたけど、そんなのすぐにバレるからと逆に私が叔母をなだめた。


私には親戚の誰ひとりとして「ふ~みんにひと目会わせてあげたら」と、口先だけでも言わなかったのが腹立たしかった。


父が一度意識不明になり死ぬかもとなって意識が戻った後、一日一日過ごすうちにひょっとして退院出来るのかな?とも思ったけど、、、やっぱりダメだった。


それでも約3ヶ月間生き延びたのは父の生命力かもしれないけど、医師の対応も大きかったのかもしれない。


母によれば(一度しか会ってないが)まだ学生のような感じで若く、声も小さく大人しい印象だったらしい。


入院したのは市の総合病院だけど、最近は診療する科が減っていて「総合」とは呼べなくなっている。


街中に開業医が増え、そっちに患者が流れているのも一因らしいけど、だから常駐の医師というのはほとんどいなくて


陸の孤島の大病院やらその他から派遣された医師で診療している状態だ。


父の症状は青猫さんのお父さんとまったく同じだったと思う。


ただ父の場合、医師が思いつく限りのあらゆることをやったから3ヶ月間生き延びたんじゃないかと思う。


経験値でたくさんの症例を見てこういう症状でこういう持病でとなればこういう結果になると医師なら予想がつくと思う。


予想がついて、高齢となればムダというか結果が覆らないようなことはやらないのが普通かもしれない。


でも父についた医師は若かったから、ありとあらゆることをやってみたかったんじゃないのかなと思う。


こうなるだろうとは予測しても、でもこうしたらもしかしたら、という試したい気持ちは若ければわかいほどあるでしょ?


それが4月の異動で別な医師になってしばらくした後に父が亡くなった。


亡くなっているのに気がついて病院から連絡をもらったらしいので誰も死に目には会えなかった。



去年の夏以降会ってないし、入院した姿も見ていないし、父が亡くなったという実感はまだない。


もう四十九日も済んだ。


私が帰省できるまで納骨は待つと言ってくれたけど、せっかく集まってくれるのだから済ませてもらった。


高齢だったし、短い人生じゃなかったし、しかたがない。


苦しんでる姿や亡くなった姿を見たわけじゃないからまだ生きているようにも思える。


ただこの3ヶ月間、ベッドから一歩も動けずひとりぼっちで何を考えながら一日一日過ごして来たのかと、ふと考えると泣けてくる。



早くコロナが終息して面会に制限をかけられることなく自由に会えるようになって欲しい。

 

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