ちょっとまた暗い話になるけど、
実家に帰省中も、東京に戻ってきてからも気持ちが晴れなかった。
母の具合が悪いというか、原因不明の不正出血があってその検査結果が10日過ぎにわかるという状況だったからだ。
それを年末に母から聞いた時に私の頭に浮かんだのは、友人のお母さんだった。
もう5、6年前になるのかな。5月の連休で帰省した時に友人と会った。
いつもは外で会うんだけど「ウチ来ない?」というので友人の車で向かった。
その半年くらい前に友人は同居してるお父さんを亡くし、その日は旦那は仕事でいないし、お母さんだけだから気を遣わなくていいよということだったのだが。
車中、友人からお母さんは末期の子宮癌だと告げられた。だから最後に私に会わせたかったのかもしれない。
お母さんはすごく朗らかな人で、そんなことは微塵も出さず、茶の間で一緒に世間話をしたりして、(足がちょっと痛いから)あとはゆっくりしていってね、と部屋に戻った。
足が痛いのはたぶん骨に転移していたからだと思う。
母も去年の秋頃から足(腿の後ろ)が痛くて、午後は立っていられないほどで、たぶん年齢と冷えからだろうってその時は言ってた。
それが年末私が帰省するほんの2、3日前に不正出血して、実はそれ以前から緑色のオリモノが出ていたらしい。で、近くの総合病院へ行ったら50ccほどの膿をとった後、組織を検査に出し結果は翌月10日過ぎにわかるということだった。
私も母も頭に浮かぶことは同じだ。けど、口には出さない。「大丈夫だよ」とも言えない。友人のお母さんのことを思い浮かべつつ最悪の結果を予想した。抗生剤を処方されても出血は減ったものの止まらずで何とも言えない気持ちで過ごした。
ガラホからスマホに変えたこともあって、母はネットでいろいろと検索したみたいで、病気で飲んでる薬のせいかもしれないと思い込みたいようだった。私もそう思いたかった、高齢による体の変化であって欲しい、最悪の結果にだけはならないで欲しいと願った。
私は母の身にそんなことが起こってるとは知らずに帰省、休暇もつけ足して長めにとったので、10日過ぎまで伸ばすということが出来なかった。母は一人で病院へ行くから大丈夫、気にしなくていいと言ったけど心細いに違いない。
その直前には叔父が亡くなったという知らせもあったし母はどんな気持ちでいたのだろうと思うと胸が痛んだ。
どうすることも出来ず、もし最悪の結果だった場合私に電話が入るんだろうか?でも今は本人に隠すことはしないんじゃないだろうか?
どっちにしても母に隠し通すことは不可能だなと思った。連休明けの11日に病院へ行くのか、その翌日なのかも聞かず東京に戻って来た。
そして一昨日の昼頃母からLINEがあった。
私の方が誤字・・・ |
すぐに電話をすると母の声は晴れやかだった。私もほっと胸をなでおろした。
でも総合病院とは名ばかりで医師不足で診療科目の減ってる病院、もっと大きな病院で検査したら結果は違うのかもしれないと思ったが、母はそういうことは望まないだろう。
今後何があっても入院はもうしないと言っているから。
今は一時の静けさなのかもしれない、これがず~っと続くと思っちゃいけないんだろうな。
友人のお母さんは陸の孤島の大病院で検査を受けたんだけど、その際たくさんの医師たちの目にさらされてすごく傷ついたようで、
治療も入院も拒否して自宅で過ごし、約3ヶ月後に亡くなった。それまで介護した友人はすごく大変だった、一年も経たたず立て続けに両親を亡くして辛かったと思う。
母に病院へはいとこに連れていってもらったのか聞いたら、行きはバスで帰りはタクシーを使ったというので、何で最初からタクシーを使わなかったのかと聞いたら、つかまらなかったのだそう。
今、田舎では高齢者の免許返納が激増中でそのためタクシー利用者が増えて(雪だし)予約も難しいらしい(私が運転手から聞いた話とはずいぶん違うが)で、帰りも1時間ほど待ってやっとつかまえたらしい。
ウチから最寄りのバス停留所までは約400mくらいある。普段外へはほとんど出ず、散歩へ行くことすらしない、しかも足が痛いのに。。。。私は薄情者だな。
一日一往復しかないバス、しかも一人か二人しか乗ってないらしい。ならばせめて、停留所でなくても、そのルート上を歩いていて手を挙げれば乗せてあげればいいじゃないの。。。
私が同居すればこんな大変な思いをさせずに済むかもしれないが自分の今後を考えると、仕事は辞められないしやっぱり田舎では暮らしたくはない。
私は身勝手だな。