そしてその豆菓子をもらったおば様もいたので、美味しかったから探して買ったからとおすそわけしたら、おば様はまだ食べていないそうで、
あら、そうなの?と驚いていた。
初めて食べた台湾産の豆菓子?にハマる
確かに袋のデザインからして見慣れないし、日本のじゃないってわかるからすぐに手が出ずでそのままなのかもしれない。
それにすごく固いわけじゃないけど歯が悪いとも食べられないかも、と考えると何か柔らかい別なものが良かったのかな。
私が美味しくても、みんなそうとは限らないし、気が利かない私。
そしたらおば様はお返しにキャンディと豆乳をくれた。
私がバッグにギュッと押し込んだので角がつぶれてしまった |
こうなると無限のループでおば様からはいつも何か貰ってるんだよね。
美味しかった!って言われるとうれしくてまた配っちゃう、とおば様は言っているが、社交的で誰にでも分け隔てなく接する人なので、私も年齢を意識せずにおしゃべりができる人だ。
話が長くならず、適度な距離を保ってむやみに踏み込んで来ない節度あるおば様とは話をしていても苦にはならない。年齢って関係ないなと思う。
ただどんなに想像力をはたらかせても、実際にその年齢になってみないとわからないことはあるよね。
明るくおしゃべりをしていても、物忘れが激しくてボケてるもしれないとか不安を口にしたりする。
私だってそうなるかもしれないって思ってるけど、その差し迫った気持ちはずっと強いはず。だから、大丈夫よ、なんて軽くは返せない。
今はみんな長生きだから将来ボケる可能性は誰にだってある、明日は我が身だ。
でも年齢とともに物忘れが多くなるのは当然だし、ボケるのとは違う。
私にはそういう不安を口にするおば様よりずっと若いおば様の様子が少しおかしいのが気になっている。
なんとなく耳が遠くなってるなというのは感じていたけど、しゃべり方もだんだんスローになってきて、内容も要領を得ないし。
誰だって歳はとっていくんだけど、50歳を過ぎたそこから先は個人差が出てくる気がする、たとえ70歳や80歳の人より実年齢は若くても老化の度合いは比例しないんじゃないかな、おば様方を見ているとそう思うよ。
何でこいういう差が出てくるのかはわからないけど、ストレスをためないとか、適度な運動とか人との会話とか社会とのつながりとかいろいろとあるんだろうけど、良い意味で多少の物欲とか競争心みたいなものも必要かもしれない。
それがまったく無くなってしまったらダメかも。
先輩は洋服はもう買わない、物は増やさない、いらないとか言いつつも、バザーの商品とか念入りに見てるし、階段を上るのがキツくなってきたと言う一方で、泳いでいて私が抜きそうになると競ってスピード上げたりするし、
そういう気持ちがあるうちは大丈夫な気がする。
でもホントのところは私もその歳になってみないとわからないよ、やっぱり。