電車に乗らないと銭湯は無いし。。。でも入りたい。
よくよく調べてみたらなんと徒歩10分くらいの所にあるではないか!自宅付近でも私の行動範囲は狭く、地図を見ても、込み入った住宅街で、わかるかなーと、さっそくお風呂道具一式を抱え夕方行ってみた。
その銭湯は大通りからちょっと入ったところにあった。お馴染みの入口に下足入れがある造り、中に入ると銭湯独特の匂いがした。
銭湯に来たのは数年ぶり!どの程度の混雑なのか、どんな雰囲気なのかとドキドキしながら入る。
番台ではなく受付カウンター式で、そこで470円を支払う。
脱衣所に入ると広々として、奥の風呂場を見ると3人くらいしかいなかった。時間帯なのかコロナの影響なのかわからないが、空いていて良かった。
お風呂の入口から見て、洗い場の列が縦に4列、その突き当りにある湯舟が3つくらいに区切られてある造り。
で、右の壁に沿ってシャワーボックスがある。左側には別の入口があり、たぶん露天風呂か何からしいが今回は行かなかった。
他の3人はそこと中の風呂場を行き来していたので常連に違いない。
銭湯に行きたいと思うなんてすごく不思議な気持ち。
だって上京直後に住んだ風呂なしアパートでは、銭湯は道路を挟んだ反対側で2分ほどの距離だったが、良かった、楽しかった、という記憶がなかったからだ。
なぜ銭湯がイヤだったのか
・自分の好きな時間に入れない
・混雑してる
・銭湯に入った後、また服を着なきゃいけない
・番台のオヤジが見てるのが嫌だった
田舎育ちで内風呂だったから、人前で裸になるという習慣が無く、番台のオヤジは見てるし、手ぶらで浴槽の縁をまたいで入る(先に入ってる人の目の前で)というのに慣れることが出来なかった。
当時は銭湯を利用する人も多く、ゆっくり落ち着いて入ったという記憶が無い。
風呂から出れば出たで、着替えてまた外に出なきゃいけない。せっかく温まった体が冬は冷えるし、夏はより暑さが増すしで、早く風呂付の部屋に住んで、自由に好きな時間に入りたいと思っていたからだ。
お風呂のある生活は便利だ。定休日や営業時間のある銭湯と違って、自分の好きな時に入れる。それはそうなんだけど、いつの頃からかたまに銭湯に入りたいな、と思うようになった。
プールにも風呂はあるが、水着着用だし(脱いでも良いが)狭いし、やっぱり銭湯とは違う。
コロナの影響もあるかもだが、年齢的なものが大きいかも
強制ではないものの、自粛という精神的な負担が、銭湯に行きたい!という気持ちにさせたような気がするけど、
年齢的なものかもしれない。大きな湯舟で手足を伸ばしゆっくりとお湯につかりたい。。。若い頃には無い発想。
ということで、
熱くてこんな優雅には入ってられなかった |
浴槽の横や下からジェットバスのように泡が噴出してるからわからないし、他に誰もいなかったから。
ただ、激熱で30秒も入ってられなかった。
なのに3回も繰り返したのは470円という元を取りたいという欲から(苦笑)
銭湯の脱衣所にてあ然、こんなはずじゃなかった
茹でタコのような体で脱衣所に戻り、バスタオルを巻いてしばし涼む。しかし、そんなことで体から熱がとれるはずもない、
辺りを見回すと扇風機がない。まだ5月だから?
困ったのはドライヤーが無かったことだ。
風呂から、脱衣所で髪をドライヤーで乾かす女性の姿が見えたので、あるとばかり思い込んでいたからだ。
銭湯から出てその途中のスーパーで買い物をするつもりだったが、濡れた髪の毛のまま、しかも茹でタコのような顔では入れない、、、、あきらめた。
次に来る時はドライヤー必須だが、壁の張り紙には「ドライヤー持ち込みは30円」と書いてあった。料金はかかってもいいからドライヤーあればなぁ。。。
大きな風呂で温まった体はすぐには冷めず、暑いまま服を着て濡れた髪のまま銭湯を後にした。
こうなると徒歩10分という距離は長い、まあ夜だったから見えないから良かったけど。
銭湯のある生活
久しぶりに銭湯に行って、こういう生活も悪くないと思った。自由に入れないという不便さはあるし、470円という料金も安くはない。
でも手足を伸ばしてお湯につかれる気持ち良さは自宅風呂では味わえない。
しかも、気のせいかもしれないが、翌朝鏡を見た時、いつもより色白になってる気がした。顔はさっと洗っただけで特に何もしていないのに。
銭湯は美白効果あり? |
もしかして、広い湯舟で全身が温まり、血流が良くなったから?だろうか。
それは別にしても、銭湯いいなあ。。。せめて徒歩3分くらいのところにあればお風呂は銭湯、という生活をしてもいいかなという心境になっている。