ここ半月ばかり悶々として過ごしていた。
それは入院した父のこと。
1月下旬の夕方、帰宅直後母から電話があった。
父が入院して意識が無くなった、
明日まで持たないかもしれないとのことだった。
入院したなんて知らなかった、しかも救急車で運ばれたなんて。
入院は約3週間の予定で退院できると思っていたから、
私には知らせず、帰省した時にでも実はこんなことあったんだよね、
と笑い話にするつもりでいたらしい。
母はコロナで面会は出来ず、
父の様子を知る由もなかったけど、
入院2週間後のこの日突然病院から電話があって、
意識がなくなったからすぐに来てと言われたらしい。
母に許された面会時間はたったの5分、
医師からは
「もう意識は戻ることはない、
(死ぬのは)明日かもしれないし、一週間後かもしれない」と言われ、
慌てて私に電話をかけてきた。
酸素マスクやたくさんの器材とチューブで繋がれた父、
母が呼び掛けても何の反応もなかった。
「明日かもしれない」と医師から言われた母は、
葬儀やらいろんなことでもう頭がいっぱいで、
父がどういう経緯でこうなったのかとか詳しく聞けなかった。
元気そうにしてはいても、父は高齢だし、糖尿病だったし、
いつどうなってもおかしくはなかったのだから、
それがこの日だったんだと思うしかなかった。
ただ「葬儀をしても帰ってこないで」と言う母の言葉に愕然とした。
田舎では、東京の人はみんな感染してると見なされてるらしい。
たとえ家族の葬儀でも参列することは近所の目が厳しくて
あきらめて欲しいという意味だった。
親の葬儀は不要不急の外出なんだろうか?
自分の生まれ育った田舎が本当に嫌になった。
父が明日までか一週間先なのかわからないけど、
とりあえず、こっちに住む父の兄弟に知らせなきゃと
最初に宮殿の叔母に電話をした。
自分じゃそんなつもりはなかったんだけど、
叔母と話したとたん、オイオイと声をあげて泣いてしまった。
父が死ぬかもというショックより、
帰って来ないでと言われた戸惑いの方が大きかったからかもしれない。
そうやって3件電話をかけた。
その夜は父の憎たらしい記憶を思い浮かべ、
やり過ごそうとしたけど一睡も出来なかった。