ミャンマー政変、市民不服従運動、賽は投げられた経緯

2021/04/19

Myanmar 気になる人

t f B! P L

最近略語が多くてついていけない。


日本語もだが、特にアルファベットの略が。


LEDが電気で、LTEが電波、AEDが心臓をマッサージするやつでADSLが・・・・とか、頭文字をとった略がたくさんあって混乱、もう覚えきれない。


今回のミャンマー軍によるクーデターに対する市民不服従運動=「Civil Disobedience Movement」はCDMと略される。


当初、国民が求めていたのは


高田さんのブログによると

日本に帰国したから話す、CDMの是非と誰も知らぬ間に死ぬ人々

https://startup-in-asia.com/cdm/

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・72時間以内にアウンサンスーチー等を解放し、国軍は撤退しろ

・デモ活動は衝突に国軍側に”治安維持”という名目での軍事行動を促すため、デモ活動は控えてCDMをしよう

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だったそうだ。


「デモ活動は控えてCDMをしよう」


なぜなら


「デモ活動は衝突に国軍側に”治安維持”という名目での軍事行動を促すから


だったのだ。(こうなることはわかっていたわけだ)


ところが2月4日にマンダレーでデモ活動が目撃され、以降国民の気持ちが揺さぶられ、あちこちでデモ活動が発生するようになった。


高田さんの記事には最初のそのデモを見た友人がふと漏らした「遂に動いてしまった。もう止められない」という一言が記憶に残っている、とあった。


「賽は投げられた」、もう後戻りは出来ない、最後までやるしかないとなったのだろう。



この記事を読むまでこういう経緯があったとは知らず、


軍政にひっくり返される、それには反対だから→デモ、だと思っていたのが、矢印には、そうなるきっかけ、瞬間があったわけだ。



記事には、国民の気持ちが揺さぶられたのは


『ミャンマー国民の間で、72時間耐えれば国連や米国がすぐに助けに来てくれるという希望的観測があったものの、それが叶わず、怒りを抑えきれず行動に繋がったのでしょう。』ともあった。それが2月4日だったということだったのか。




私が最初に高田さんの記事を読んで気になったのは「同調圧力」だった。


もしかしたら、彼(paing takhon)は有名人であるが故に、自分も先頭に立たねばと、声を上げ、デモに参加せざるをえなかったのかな、と。


もちろん軍政にひっくり返されることはあってはならない、絶対に嫌だったはず。


けど、デモに参加すればどうなるかその先は予想できたはず。


誰だって自分の命は惜しいし、家族も守りたいだろうに。





ミャンマーって漢字で「緬甸」って書くんだ。


読み方は「めん・でん」


意味を調べてみると(私の勝手な解釈だけど)


緬=細く長い糸


甸=土地


ミャンマーの地図を見ると、上の方は広いけど下半分以降は細長い地形で、そこからこの漢字をあてはめたのかなと。


私たちが目にしてるニュースはそれが動画であっても切り取られた場面、流す方の主観が入る。


ミャンマー各地でデモが起き、軍が国民に対し残虐非道な弾圧を行い、多くの犠牲者が出ているのは事実。


でも、例えばヤンゴンのいたるところでデモが起きて、衝突して一歩も外に出られないのかと言うと、


それは(今のところ)限定された場所で全てのところで起こってるわけではなく、買い物や飲食は(やや不便ながらも)出来ている。


軍政にひっくり返されるのは嫌でも、国民全員がデモに参加してるわけではないだろうし、有名人、芸能人といえど誰もが声高に反対!と意思表示してるわけでもないと思う。


高田さんの記事には


『ミャンマーでは”同調圧力”が強く働き、CDMを(一部)止めようという声や、国軍とCDMを盾に交渉しようという声をあげることすらできなくなっております。』


『現在のCDMは持続可能なアクションではないため、このままでは限界を迎えるのは確実です』ともあった。


別の人のブログでは、夜の8時の鍋叩きの音が小さくなっている、とあった。


やっぱりニュースだけではわからないことだ。

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