行くのを止めた「整骨院」から、痛みはどうですか?診させて下さい、というLINEがきた。
もう行くつもりはない、良くなる気がしないんだもん。
こんな風に体がこじれてしまうと、改善を求めあちこちさまようしかないんだろうと思う。
新宿の整体はその業界ではかなり有名な人の名を冠している所だった。
その人自身スポーツで体を壊し、治そうと柔道整復師になり、ゴッドハンドと言われる所で修行もしたものの長い間改善することが出来なかった。
それがある人との出会いでヒントを得、メソッドを開発、自身の体も治すことが出来た。
そのメソッドをマニュアル化して開業したんだろうけど、人がやることだから機械じゃないから同じようには出来ないよね。
その人が経験して積んできたことは、同じように時間も必要だろうし真似することは難しいと思う。
カリスマに教わっても、カリスマのように出来るとは限らないし、それにそのメソッドは私の体には合っていなかったんだろうとも思う。
整骨院も担当者ガチャで別の人にやってもらっていたら違っていたかもしれないけどわからない。
◇
私の体を心配している母には毎朝LINEをしている。
いつも暑いとか寒いとか何気ない短文だけど、昨日の返信はちょっと長めだった。
母は少し耳が遠くなりつつある。
父が生きていた頃、テーブルに父と母が向き合って座り、私がその間に座るというコの字型が定位置だったが、
この近距離でも男の人の声は低くて聞きにくいのか、母には聞こえず、間にいる私が都度通訳して母に伝えるというのがパターンだった。
そんな母の耳にも偶然なのかカエルの鳴き声が聞こえた。「聞き取れる自分の時間を持てた事は幸せ」と書いてある。
なんか、、、泣けてくるなあ。。。
高齢になれば体のあちこちが衰え今まで出来たことや普通だったことがそうじゃなくなる。耳が遠くなることも仕方がないことだと思いつつもカエルの小さな鳴き声が聞こえた、
うれしかったんだろうなあ。。。
私も今足がこんな状態で「歩く」というごく当たり前のことが出来なくなっていて、普通に生活出来ることのありがたさを痛感しているからわかるよ。
耳が遠い母に対し、父はどんな小さな音も聞き逃さない地獄耳だった。遠くで鳴る救急車のサイレンの音を聞きつけ、それを教えてもらった母が窓を開け、どの家の前に止まるか見守るのが常だった。そんな救急車にまさか自分も人生最後に運ばれるとは父も予想しなかっただろうけどね。
幸いなことに母は耳が遠くなりつつあることにそんなに悲観はしていない。
去年亡くなった埼玉の叔父は晩年耳が遠くなり、あんなに穏やかで優しく誰からも好かれる人柄だったのに、妻と子供の会話を(聞こえないため)「俺の悪口を言っている」とひねくれてというか怒りっぽくなっていたらしい。
耳が遠くなる、聞こえにくくなるというのは会話にも参加できなくなって孤立してしまうことだから、それが普通に出来る人に「そんなことは気にしなくていいよ」と言われても、実際自分もそうなってみないとわからない心境だよね。
ごく当たり前なこと普通に出来ること、どんなに些細なことも出来なくなるというのは、そうなってみて初めて普通に出来ることがすごく幸せなことだとわかるんだよ。