彼女がいなくなって、心にぽっかり穴が空いたよう

2021/05/14

Myanmar 気になる人

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スーティリさんのブログが終わってしまった今、喪失感でいっぱいだ。


まさに、スーティリさんロス(笑)


2月のミャンマー政変から約3ヶ月間、次ははどんな記事がアップされるのかと毎日待ち遠しかった。


そこにニュースやTVでは知りえないことがあったからでもあるけど


スーティリさんの日本語の表現が魅力的だったからだ。


複雑で難しいことを短い表現でわかりやすく書くのは難しい。


でも、日本人ではないミャンマー人のスーティリさんはいつも軽々とそれをやってのけた。


ムダのない短い文章に含まれている意味がわかる面白さ、ほんと俳句のようだった。




『彼らは頭に銃を撃つが、革命は心臓にあるということを知らない』


拘束されていたミャンマーの詩人ケット・ティさんが心臓を含む臓器が取り除かれた遺体として戻って来た。


(拷問を受けた後、死亡したのは明らかだが)病院は「心臓に問題があった」と説明、夫人はそれ以上は何も尋ねず、ただ軍部に遺体の引き渡しを懇願したという。


軍は同じ国の人々になんでこんな惨いことが出来るんだろう。


気に入らないなら殺さずとも刑務所に入れておくだけでいいではないか。


スーティリさんのブログを読み始めた頃、アウンサンスーチーさんの右腕といわれた男性が拘束された後、拷問の上、殺害された遺体の画像を見てしまった。


避ける間もなく、というか避けられない(それがスーティリさんのブログ)


映画もホラーとか、たとえ作られた物でも怖いのは絶対見ないのにモロに見てしまった。


だからこの詩人の遺体がどんなに惨いものであったか想像できる。


ケット・ティさんがクーデター発生の2週後、書いた詩。


『私は英雄になりたくない。私は殉教者になりたくない。私は弱い人間になりたくない。私は馬鹿にもなりたくない。私は不正を支援する人になりたくない。もし私に残された時間が1分なら、その時間は私の良心が清らかであることを望む』


もうどうなるかわかっていたかのように、遺したように見える。


スーティリさんだったら彼のことをどう書いたのかな。





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